ガラケー

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ガラケーとは、「ガラパゴス・ケータイ」を略した表現で、日本独自の進化を遂げた独特の携帯電話(つまり、一般によく使用されている携帯3社の通常の携帯電話)を指す。この語において「ガラパゴス」とは、孤島であるがゆえに生物相が独特の進化を遂げたガラパゴス諸島になぞらえ、世界から取り残されているという否定的なニュアンスで用いられる。

2010年前半において、この略称はいまだ定着していないため、使用時には解説が必要と思われる。

ガラパゴス化

中島聡氏の2001年のポジティブな用法

閉鎖した日本の技術世界について「ガラパゴス」と表現することは、ネットでは以前から(ニュアンスの違いはあるものの)使われていた表現である。

この言葉を最も初期に使っていたのは、「Life is beautiful」の中島聡氏と思われる。氏の2010年12月29日のブログ記事「Life is beautiful: 日本のケータイが「ガラパゴス化」した本当の理由」での回想によれば、

私が2001年のCTIA(米国の携帯電話業界で一番大きなカンファレンス)のスピーチでこの言葉を使った時は、単に日本という「単一民族で、国民の大半の生活レベルが同じで、家電とか携帯電話のようなガジェットに流れるお金が比較的多い」という特殊な環境で、iモードを中心に「ケータイ・ライフスタイル」が異常なスピードで進化をとげていることを表して、「ガラパゴス現象」と呼んだだけのこと。決してネガティブな意味ではない。

と書かれており、少なくとも2001年のCTIAスピーチでこの言葉を使っていることがわかる。なお、このときのスピーチではポジティブな意味合いで使っており、決してネガティブな意味合いではなかったと強調されている。

2007年06月24日の記事「Life is beautiful: 日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島」でも、「私が数年前から使っている表現は「日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島」。」と記されている。

ネットニュース等での用法

ネット上で確認できる範囲で実際にネットニュースで使われている用法は、2004年12月1日のITmediaの記事が初出と思われる。

この記事は、Open Source Way 2004(パシフィコ横浜)にて2004年11月30日に行なわれた佐渡秀治氏(VA Linux Systems Japan株式会社 マーケティング部 部長)の発表「日本におけるオープンソースの幻想とVA Linux」を報じたもので、「いびつに変質したコミュニティなど、日本はOSSのガラパゴス諸島であると持論を展開」したと表現されている。「肝心なのは日本で閉じることなく、グローバルに出て行くこと」というまとめからも、現在の「ガラパゴス化」の定義とまったく同様である。これについてはスラッシュドットでも議論された。

その後、2006~2007年ごろにはネット上である程度定着する言葉となる。このときから特に携帯電話のことが取り上げられるようになる。

一般メディアでの用法

一般メディアで「ガラパゴス化」という言葉が使われるようになったのは2010年2月18日発行の『ガラパゴス化する日本 (講談社現代新書)』以降であると思われる。本書の内容についてウィキペディアのまとめによると、

  1. 高度なニーズにもとづいた製品・サービスの市場が日本国内に存在する。
  2. 一方、諸外国では、日本国内とは異なる品質や機能要求さらには全く別のニーズが存在する。
  3. 日本国内の市場が日本独特の要求にもとづいた独自の進化をとげている間に、世界では全く別のニーズで事実上の標準的な世界仕様が決まり、拡大発展する(製品の水準が低いレベルにとどまるとしても、世界的な多数派になることでより高水準な日本市場向け製品を規格争いで圧倒しうる)。
  4. 気がついたときには、日本は諸外国の動き(世界標準)から大きく取り残されている。

という現象が見られるとする。

携帯電話の現状(2010年時点)

携帯電話の場合、特にウェブ閲覧において日本の携帯三社の仕様に合わせた独特のサイトが用意されている。DoCoMoのi-modeやiアプリ、auのEZwebやEZアプリ、softbankのYahoo!ケータイやS!アプリといった三社三様の仕様が用意されており、通常のウェブページをそのまま閲覧するフルブラウザではなく、携帯専用サイトを携帯で閲覧することになる。

これらの日本市場向けの仕様はすでに完全に定着しており、いわゆる「ケータイ族」においては高度なウェブ閲覧が必要とされていないことも相まって、ガラパゴスでないケータイ(たとえばiPhone)に移行する動きは鈍いのが現状である。

ガラケーに対する明確な対義語は存在しないが、世界標準に合わせたスマートフォンやiPhoneはガラケーと対置される存在であり、またSIMロックフリーの流れもガラパゴス化の流れとは反対方向のものであるとされる。

ケータイ族の特性に合ったガラケー

ガラパゴス化によって取り残された日本特化携帯電話は、日本以外の地域ではニーズが低い。通常のインターネット・ウェブサイトと異なる仕様のページを用意するという点で垣根が高く、i-modeの世界展開も頓挫している。このため、ガラパゴス化は日本の携帯電話メーカー(あるいはケータイ市場)が世界から取り残されるものとして危惧する声がある。

一方、ガラケーは日本のケータイユーザー、特にPC・ウェブよりもケータイをメインに使う若年層・主婦層・中高年層など広い層に支持されている。このケータイユーザー層にとって、PC・ウェブサイトの機能は「使いこなせない」もの、高機能すぎるものであるが、携帯に特化された画面は小さな液晶画面にふさわしい必要充分な機能を備えたものであると受け止められているのである。

また、PCウェブとケータイサイトでは、

  • PCウェブは検索して自分で情報を探しに行く場である。大量・網羅的に置かれた情報から自分のニーズに合った情報を探し出す。
  • ケータイサイトは答えを与えてもらう場である。必要最小限の結論だけでよい。

という特性の違いがある。つまり、ウェブは比較検討のために便利なため、じっくり調べたいときに向いているが、ケータイサイトは手っ取り早く結論を手に入れるのに向いている。そして、ユーザーの大多数が「自分で検討する」より「答えを教えてもらう」ことに興味を持つのは当然である。

ガラケーが売れ続ける理由

「iPhoneやスマートフォンには、ガラケーにはない機能が含まれており、便利だ。だからそちらを使わない理由はない」と言われたことがある。しかし、私はケータイ族の生態を知るためにはガラケーの不便さにとどまることが必要だと考えている。

単純に高機能なものが売れると考えるのは、それを使いこなせるギーク、ナード(つまりオタク)限定の、それこそ「情報強者ガラパゴス」的発想と言わねばならない。つまり、大多数の一般ケータイユーザーにとって、iPhoneはいろいろと面倒な設定などもしなければならない難しそうな機械でしかない。それに、iPhoneはおさいふケータイさえも使えないのである。

マニュアル車がいかに自分の思い通りの動きをするからといって、オートマ車が絶滅するわけではない(むしろオートマで充分と考えられる)のと同様である。

ガラパゴスvsグローバルという発想に潜む文化絶対主義

グローバルスタンダードと呼ばれるものの多くが、実は「欧米」基準であり、一方、他の国や地域の標準が「ローカル」あるいは「ガラパゴス」と呼ばれていることについて、欧米文化(西洋文明)が無条件に「優れている」あるいは「正しい」ものであり、欧米=世界であってそれ以外は欧米=世界に合わせていかなければならない、という発想が根本にある場合も見受けられる。

ガラパゴス化を積極的に進める必要はないとしても、それが日本市場の特性に合わせて「進化」した形態であると考えることは可能である。日本限定だからだめ、というのは、日本だけが他を蹴落として優れていなければならないという発想と正反対ではあるものの、いずれにしても極端な発想である。