ケーキを食べればいいのに

出典: 閾ペディアことのは

(パンがないなら)ケーキを食べればいいのに」(英語:"Let them eat cake")は、フランス語の句「qu'ils mangent de la brioche.」の伝統的な翻訳である。一般的にはマリー・アントワネットの言葉とされることが多いが、それは誤りである。また、マリー・テレーズ説も根拠はない。なお、原語ではケーキではなくブリオッシュとなっている。

概説

「ケーキを食べればよいのに」というのは、厳密には正確な訳とはいえない。ブリオッシュは実際には、バターの多く含まれた卵パンの一種であり、デザートや砂糖菓子というわけではない。しかし、この翻訳が誤りだというのは学問的に厳密さを期する場合のみであり、ケーキであろうとブリオッシュであろうと、この言葉に関する以下の二つの問題点は同じである。

  1. ケーキもパンもブリオッシュも小麦粉でできており、小麦の供給が不足するなら、パンもケーキもブリオッシュもすべて不足するはずである。
  2. ケーキもブリオッシュも、通常のパンよりは高価な贅沢品といえる。

それゆえ、このフレーズは、ケーキであろうとブリオッシュであろうと、無知による発言か、あるいは皮肉としか受け取れないものとなる。

一般的にこれはマリー・アントワネットの発言とされることが多いが、研究家たちによれば、マリー・アントワネットによってこれらの言葉が語られたという記録は一切残っていない[1]。この言葉が実際に最初に登場するのは、ジャン・ジャック・ルソーの自伝的作品『告白』である。この第6巻において、以下のように書かれている(1736年)。

« Enfin je me rappelai le pis-aller d’une grande princesse à qui l’on disait que les paysans n’avaient pas de pain, et qui répondit : Qu’ils mangent de la brioche. J’achetai de la brioche. »

「農民にはパンがありません」と言われたときに、ある偉大な王妃が「それならブリオッシュを食べればよい」と答えたことを思い出した。

ルソーは「偉大な王妃」の名前を記していない。またルソーは18世紀の哲学者・小説家であって、歴史家でもジャーナリストでもないことに注意しなければならない。ルソーの伝記作家の一人はこう書いている。

ルソーは精神病者であった。…… 完璧な正確な信念というのが、その病気の特徴であった。…… 証拠が狡猾にでっち上げられ、歴史は書き換えられ、年代は巧妙に並べ替えられている。……ルソーが提示する真実とは、半面の真実でしかないと判明することがよくある。[2]

ルソーはしばしばでっち上げを行なっており、この逸話には他の情報源がまったくないため、おそらくこの話はルソーが作り上げたものと思われる。それを裏付けるように、ルソーはある貴婦人にあててこう書いている。「子供たちのパンを私のところから盗んでいったのは、富裕階層、すなわちあなた方の階層であります」。また、「金持ちに対するある種の憤慨」があることを認めている[3]

発言者

この引用は、マリー・アントワネットによるものとされる場合、ルイ16世の治世にフランスで起こったある飢饉のときの発言であるとされてきた。人々が広範囲にわたってパン不足に苦しんでいると警告されたとき、マリー・アントワネットは「では、ブリオッシュを食べさせなさい」と答えたとされる[4]。君主国家におけるこのような無神経さが、フランス革命を導いた要因の一つであると記されることも多い。 『マリー・アントワネット』の著者である英国の伝記作家アントニア・フレイザーはこのように述べている。

「ケーキを食べればいいのに」は、それより100年前、ルイ14世の妻であるマリー・テレーズが口にしたものである。これは冷酷で無知な発言であったが、マリー・アントワネットは冷酷でも無知でもなかった。」 [5]

しかし、フレイザーは、この説についての情報源を示しておらず、マリー・テレーズ説もやはり信用することはできない。

さらに、1782年まで出版されなかったものの、ルソーの『告白』は1769年には書き上がっていた。マリー・アントワネットがオーストリアからヴェルサイユに到着したのは、マリーが14歳のとき、1770年であった。したがって、ルソーのいう「大公夫人」は、この若いオーストリア出身の女性ではありえない。マリーはまだ偉大なる王妃にはなっていなかったし、いずれにしてもルソーはまったく知らなかったのである。[6]

この言葉がマリー・ワントワネットによるものとされるようになっていた経緯を調べれば、フランス革命前夜が近づくにつれて王国への反感が高まっていったことがわかる、ということを理解するのは重要なことである。ルイ16世と結婚していた間、マリー・アントワネットの軽薄と浪費だけがフランス財政危機を招いた唯一の原因であると述べられることがしばしばあった[7]。実際、大衆はマリー・アントワネットただ一人がフランスの財政を破局に導いたと確信していたため、マリーに「Madame Déficit(赤字夫人)」とあだ名した[8]。さらに加えて、「Libelles」は、誇張や架空の出来事やウソで王室を攻撃する物語や記事を書き立てた。そのため、国王と王妃にはこのように強い不満と怒りの感情がぶつけられ、そのために、ある不満分子が、今や有名になったこの言葉をマリー・アントワネットが使ったという筋書きを作り上げた可能性も高い。

注・参照

  1. Fraser, Antonia (Lady), "Marie Antoinette: The Journey" p.xviii, 160(邦訳=マリー・アントワネット〈上〉〈下〉);
    Lever, Évelyne, Marie Antoinette: The Last Queen of France", pp. 63-65(邦訳=王妃マリー・アントワネット (「知の再発見」双書));
    Manser, Susan S., article Eating Cake: The (Ab)uses of Marie-Antoinette, published in 'Marie-Antoinette: Writings on the Body of a Queen, (ed. Dena Goodman), pp. 273-290.
  2. Johnson, Paul, Intellectuals, Harper & Row, 1988, p14f. 邦訳=インテレクチュアルズ―知の巨人の実像に迫る (講談社学術文庫)
  3. Johnson, p. 23f.
  4. Fraser, p.135
  5. http://urbanlegends.about.com/od/dubiousquotes/a/antoinette.htm
  6. http://www.phrases.org.uk/meanings/227600.html
  7. Fraser, pp. 473-474
  8. Fraser, pp.254-255

※このページは、Let them eat cake - Wikipedia, the free encyclopedia21:43, 16 July 2009版を和訳し、編集を加えたものが最初の版となっている。


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