三十六計

出典: 閾ペディアことのは

三十六計兵法三十六計、さんじゅうろっけい)とは、もともと「多くの計略」という程度の意味の言葉であった。36個の計略というわけではない。

「三十六計、逃げるにしかず」という言葉が有名だが、これは宋の将軍・檀道済が言い出したものである。『南斉書』王敬則伝にある。敬則いわく、「檀公三十六策、走是上計」(檀公の三十六計中、走を上計となす)と。すなわち、「逃げるべきときには逃げて身の安全をはかることが兵法上の最上策である」という意味で使われている。

原本としては以下のものが伝えられている。もともと三十六計という言葉はあったが、別に36個の計略というわけではなかった。それを近世になって無理やり36個の計略が含まれる本にまとめた。もともとは明末~清初に作られたようだが、発見されたのは20世紀である。

  • 『三十六計――秘本兵法』謄写印刷、手書き
  • 『三十六計』成都興華印刷所(上記の原本を土紙に印刷して複製)
  • 無谷訳注『三十六計』吉林人民出版社 1979(成都版を活字本として再現)
  • 李炳彦編『三十六計新篇』戦士出版社 1981(同上)
六六三十六、数中有術、術中有数。陰陽燮理、機在其中。機不可設、設則不中。
六×六=三十六、この計算の中に策略があり、策略の中に計算がある。陰陽の燮理(相互作用)、機会はその中にある。機会は勝手に設けるべきではない。設けようとすればあたらない。

ここで述べているのは、実際上の計算を重んじて、空理空論は重んじないということである。なぜなら、理論は策略の言葉を見れば一目瞭然である一方、計算は言外にあるからだ。もし策略は策略としてしか知らず、しかも策略の中に計算があることを知らないのであれば、策略はたいていうまくいかない。しかも容易に見破られない謀略(詭謀)や臨機応変の手段(権術)はもともと道理の中、人情の内にある。もしでたらめな運用ばかりをしていれば、計略はたちどころに見破られ、世をあざむき、俗人を惑わすことになって、機密のはかりごとも漏洩してしまう。

あるいはこうも言う。三十六計は6計ごとに1組をなす。第1組は勝戦の計、第2組は敵戦の計、第3組は攻戦の計、第4組は混戦の計、第5組は併戦の計、第6組は敗戦の計。

目次

第一組 勝戦の計

第一計【瞞天過海】(まんてんかかい)

白昼公然、天をあざむいて海を渡る。皇帝をだまして無事に海を渡らせる。「永楽大典・薛仁貴征遼事略」より。

備周則意怠、常見則不疑。陰在陽之内、不在陽之対。太陽、太陰。
備えが周到であれば意識がたるむ。いつも見ていることは疑わない。陰(秘密の計略)は陽(公然)の内にあるのであって、陽と対立するのではない。太陽(きわめて公然なもの)は太陰(きわめて秘密)となる。

陰謀作為は、外れた時や秘密の場所で遂行してはならない。夜半に盗み、へんぴなところで人を殺すのは愚俗の行いであって、謀士がやることではない。

昔(三国時代)孔融が包囲され、太史慈が包囲を突破して救援を求めようとした。そこで鞭と弓を持ち、的を一つずつ持たせた騎兵二騎を従え、門を開いて出たところ、包囲の内外で見ていた者はみな驚いた。太史慈は馬を引いて城下の塹壕の中に入り、持っていた的を立てて射た。射終わると、戻った。次の日もまた同様であった。包囲側は、立って見ていたり、寝たままだったりした。その後も同様にすると、もう起きてくる者もいなくなった。太史時は馬をむち打っていきなり包囲を突破した。敵が気づいたときには、もはや数里も遠くに行った後だった。

第二計【囲魏救趙】(いぎきゅうちょう)

趙が魏に攻められているとき、斉は直接趙を救援するのではなく、魏の首都を包囲することによって攻撃をやめさせた。史記・孫子呉起列伝

共敵不如分敵。敵陽不如敵陰。
敵を集中させるより、敵を分散させるほうがよい。敵と正面からぶつかるより、敵の策略に当たるほうがよい。

兵を治めるのは水を治めるようなものだ。精鋭に対しては、水の流れを導くようにその鉾先をかわして避ける。弱敵に対しては、堤を築いて流れをふさぐように、相手の弱点をふさいでしまう。斉の国が趙の国を救ったときのようにするのだ。このとき、軍師の孫ピンは将の田忌にこう言った。「からまった糸を解くときにはむりに引っ張らない。闘いから救おうとするなら直接加わってはいけない。要所を突き、虚を突いて、形勢を崩してやれば、おのずから解けていくものだ」

第三計【借刀殺人】(しゃくとうさつじん)

刀を借りて人を殺す。自分は直接手を下さず、第三者に敵を攻撃させる。俗語(『紅楼夢』)

敵已明、友未定、引友殺敵、不自出力、以損推演。
敵がすでに行動を起こしていて、友軍がまだ態度を決めていないなら、友軍を引っ張って敵を殺させ、自ら力を出さない。これが易経・損卦の「下を損して上を益す」である(損卦がひっくり返ると益卦に変わる)。

敵対状況はすでにはっきりとしており、しかも別の一勢力が発展しつつある。この勢力の力を借りて敵を倒させるべきだ。孔子の弟子の子貢が魯国を防衛し、斉国を乱し、呉国を破り、晋国を強大にしたようにするのである。

第四計【以逸待労】(いいつたいろう)

兵を休ませ、敵を疲労させてから攻撃する。孫子・軍争篇、百戦奇略・致戦。

困敵之勢、不以戦、損剛益柔。
敵の勢いを削ぐためには、戦わなくてもいい。強敵を疲れさせれば、弱者の利益となる(『易』損卦――今盛んな攻撃側も、疲れやすく、敗北の要素を持っている。今劣っている防衛側は、かえって勝利の要素を持っている)。

これすなわち敵を術にはめる方法である。『孫子』にはこうある。「先に戦地に着いて敵を待つ者は楽であり、遅れて戦地に至って戦いに臨む者は苦労する。そのため、戦いのうまい者は、人をはめるのであって、はめられはしない」

孫子が論じているのは、勢いについてである。つまり、土地を選んで敵を待つということではなくて、少数で多数を牽制し、不変をもって変に応じ、小変をもって大変に応じ、不動をもって動に応じ、小動をもって大動に応じ、主導権を握って周囲の情勢に応じるところにある。

第五計【趁火打劫】(ちんかだきょう)

火事場泥棒。敵が弱体化しているときには一気に追撃する。俗語(『警世通言』)

敵之害大、就勢取利。剛決柔也。
敵の不利益が大きければ、勢いに乗じて利益を取る。これは強者が弱者を倒すものである(『易』夬卦――強者が力押しすれば弱者は従うしかない)。

敵に内憂があれば、領土をかすめ取る。敵に外患があれば、その民を奪い取る。敵に内憂外患がどちらもあれば、その国を併合する。

第六計【声東撃西】(せいとうげきせい)

東を攻めるように見せかけて西を攻める。陽動作戦。淮南子・兵略訓(傭兵の道は、的に対しては弱小のようにみせかけておいて、堅強な軍事力で迎え撃つこと。領土を拡げようとするなら、まず縮小するようにみせかけること。西に向かおうとするなら、まず東へ向かうふりをすること)

敵志乱萃、不虞、坤下兌上之象。利其不自主而取之。
敵の指揮が乱れ、考えて対処することができないのは、「坤下兌上」の象である(『易』萃卦――沢は水がとどまっている。沢の上に地があるなら、決壊のおそれがある)。統制がとれていないのに乗じて勝ちを取る。

前漢の景帝のとき、呉楚七国の乱が起こったが、漢の将軍の周亜夫は城壁を守って打って出なかった。呉兵が城壁の東南を攻めようとする動きを示したとき、亜夫は西北を備えさせた。呉王の精兵は亜夫の考えたとおり西北を攻めたが、ついに入ることができなかった。これは敵の意志に乱されず、よく自主的に考えられたからである。

漢末、朱雋が黄巾軍を宛城に包囲した。土山を作って城内を見下ろし、太鼓を鳴らして西南を攻めさせた。黄巾はあわてて西南防御に向かう。雋は自ら精兵五千を率いて東北を襲い、城側の虚に乗じて入城した。これは敵の指揮が乱れ、対応できなかったからである。

ということで、声東撃西の策は、敵の指揮が乱れているかどうかで決めるべきだ。乱れていれば勝ち、乱れていなければこちらが敗れる。これは冒険的な策略だ。

第二組 敵戦の計

第七計【無中生有】(むちゅうしょうゆう)

ないものからあるものを生み出す。老子「天下万物生于有、有生于無」(天下の万物は有から生まれ、有は無から生まれる)→ないものをあるように見せかけて、相手の判断を狂わせる。

誑也。非誑也。実其所誑也。少陰、太陰、太陽。
あざむく。それがあざむきではなくなり、あざむいた形を実と見せることになる。あざむきを大きなあざむきにすれば、大きな実となる(『霊棋経』発蒙卦)。

ないものをあるように見せるのがあざむきである。あざむきは久しからずして悟られやすいから、無をそのまま無にしておいてはならない。無の中に有を生じさせること、これがあざむきから真実にし、虚から実にするということだ。無をもって敵を破ることはできないが、有を生ずれば敵を破ることができる。

唐代、令狐潮(安禄山の将軍)が雍丘を包囲したとき、防衛側の将である張巡は、藁を縛って人形を1000体以上作り、黒い服を着せて夜、城下に下ろさせた。潮の兵は争ってこれを射、数十万の矢を手に入れることができた。その後、また夜に人を下ろした。潮の兵は笑って準備をしなかった。そこで決死隊500人で潮の陣営を撃ち、陣地を焼き、数十里も追撃した。

第八計【暗渡陳倉】(あんとちんそう)

ひそかに陳倉に渡る。行動を隠して前進し、要点を先取する。もともと「明修桟道、暗渡陳倉」の成句。陳倉は劉邦軍の韓信が項羽を攻めた場所。桟道を修復させておいてそちらに注意を引きつけておき、旧道から迂回して軍を進め、陳倉から攻め込んだ。史記・淮陰侯列伝より。現代中国語では男女の密会を指す。

示之以動、利其静而有主。益動而巽。
陽動作戦と見せかけ、静かに別の場所に不意打ちをかける。利益は機動によって得られる(『易経』益卦)。

奇襲は正攻法から出る。正攻法なければ奇襲をすることはできない。明らかに桟道を修理しなければ、ひそかに陳倉に渡ことはできなかった。

三国時代、魏の鄧艾が白水の北に駐屯し、蜀の姜維は廖化を白水の南に駐屯させた。鄧艾は諸将に言った。「姜維の軍が急にやってきたが、我が軍は少ない。兵法で言えば、敵は渡ってくるはずで、橋など作らないだろう。しかし、姜維は廖化を差し向けて我々を牽制し、帰路を断たせておいて、自分は東に向かって洮城を襲うつもりだ」

鄧艾は夜になって軍を潜め、遠回りして洮城に向かった。予想どおり姜維が渡ってきた。しかし、鄧艾は先に到着して城にこもっていたので、敗れなかった。これは姜維が暗渡陳倉の計を用いるのに失敗し、鄧艾が声東撃西の謀略を素早く見破ったということである。

第九計【隔岸観火】(かくがんかんか)

岸を隔てて火事を見る。敵が内紛しているなら、相手の自滅をじっと待つ。

陽乖序乱、陰以待逆。暴戻恣睢、其勢自斃。順以動予、予順以動。
敵が内部で分離し序列が乱れたら、静観して異変を待つ。荒々しく、憎しみ、反目から、その勢力は自滅する。敵情の変化に順応して準備すれば、機に乗ずることができる(『易経』予卦)。

敵が味方同士反目しあっているときに近づけば反撃を受ける。離れて遠くから見ていれば、内乱が勝手に起こる。

三国時代、袁尚・袁煕が遼東に逃げたが、まだ数千騎あった。はじめ、遼東太守公孫康は遠いからといって曹操に服属しなかった。曹操が烏丸を破ったとき、ある人が曹操に、直ちに公孫を征服すれば尚兄弟をとらえることができる、と説いた。曹操は「俺は今、公孫康に尚・煕の首を斬って送ってこさせようとしているのだ。わざわざ兵を使わなくてもいい」と言った。

9月、曹操は兵を率いて柳城から帰った。康はすぐに尚・煕を斬り、その首を送ってきた。諸将がなぜかと問うので、曹操は「彼はもともと尚らをおそれていた。俺が急ぎすぎれば、彼らは力を合わせてしまうだろう。だが、圧力をゆるめれば、仲間割れをする。これが自然な流れだ」と言った。

ある人が言うには、これは孫子の兵法の火攻編の道であるという。なるほど、火攻編は前段に火攻の方法を述べ、後段で軽挙を慎むことを述べている。確かに、岸を隔てて火を見るという意味と合っている。

第十計【笑裏蔵刀】(しょうりぞうとう)

表面はにこやかだが、心は陰険な人物を指す成語。笑顔で相手を油断させつつ、相手が警戒を緩めたところで攻撃する。

信而安之、陰以図之。備而後動、勿使有変。剛中柔外也。
信頼を示して相手を安心させ、ひそかにはかりごとをする。備えた後に動き、変であると思わせないようにする。内では厳しく、表面は親しくするのである。

孫子の兵法にこうある。「敵の腰が低くて準備を進めているのは、攻めてこようとしているのである。……具体的な約束もなく和平を請うてくるのは、陰謀があるのである」(孫子・行軍)。つまり、敵の巧言令色は、すべて攻めてこようという意図の発露である。

宋代、曹(武穆)瑋は渭州の知事であったとき、号令は明らかで厳粛、西夏人は非常におそれていた。ある日、諸将を集めて宴会を開いているとき、たまたま数千人の反乱兵が西夏国境に逃げていった。辺境偵察の騎馬が報告したとき、諸将は顔を見合わせて顔色を失ったが、曹瑋はいつものように談笑していた。のんびりと騎兵に言うには「私の命令なのだから、君は騒がなくていい」。西夏人はこれを聞いて、実は彼らを用いて襲おうとしているのだと考え、逃走兵たちを皆殺しにした。

これは臨機応変の使い方である。越王勾践が呉王夫差に屈服し、のちにそれを逆転したのも、警戒心を解いておいたということである。

第十一計【李代桃橿】(りだいとうきょう)

スモモが桃の代わりに倒れる。苦難を共にする友人や兄弟が、一方の身代わりになる。古楽府『鶏鳴』より――桃が井戸のほとりに育った/スモモが桃の横に育った/虫が来て桃の根を食らった/スモモが桃に代わって倒れた/樹木ですら身代わりになる/兄弟がどうして忘れようか。→皮を斬らせて肉を斬り、肉を斬らせて骨を斬る。

勢必有損、損陰以益陽。
戦いの勢いには必ず損害が出てしまうことがある。そのときは損害と引き替えに大きな利益を勝ち取ればいい。

自軍と敵との状況には、それぞれ長短がある。戦争では全勝は得がたいものだ。そして、勝負が決まるのは、長短をお互いに比べるところにある。長短を比べるとき、劣る側が優れた側に勝つ方法があるのだ。下等の馬を敵の上等の馬に当たらせ(負け)、上等の馬を敵の中等の馬に当たらせ(勝ち)、中等の馬を敵の下等の馬に当たらせる(勝ち)といったようなことは、まさに兵家独特の謀略であって、ふつうに考えつくものではない。

第十二計【順手牽羊】(じゅんしゅけんよう)

手のついでに羊もひく。隙を見て、なにげなく人のものを盗み取る。羊泥棒がなじられて「道に縄が落ちていたからそれを拾ったら、羊がついてきただけだ」と言った、という笑い話。俗な成語(『水滸伝』)。

微隙在所必乗。微利在所必得。少陰、少陽。
少しの隙があっても必ず乗じる。少しの利益でもあるなら必ず手に入れる。小さな敵の不手際から小さな勝利を手に入れる。

大軍が動くところには、盲点が非常に多い。この隙に乗じて利益を取ろうとすれば、必ずしも戦闘する必要がない。勝者も使えるが、敗者も使える戦法である。

第三組 攻戦の計

第十三計【打草驚蛇】(だそうきょうだ)

薮を叩いて、隠れているヘビを追い出す。ある人をこらしめて、別の人に警告する(唐代『酉陽雑俎』)→不注意なために相手に対抗措置を取られる(『水滸伝』)。偵察、あるいは反応を探るための行動。

疑以叩実、察而後動。復者、陰之媒也。
よくわからない場合には偵察し、状況を把握してから動く。偵察を繰り返すのは、隠れた敵を見つける方法である。

敵の力がまだはっきりしておらず、陰謀をたくらんでいそうなときには、まだ軽々しく進んではいけない。その先鋒を探る必要がある。孫子の兵法にもこういう。「軍の進路に険阻な地形、沼沢、水草の生える沼地、山林で覆われている土地があれば、必ず慎重に捜索すること。これは伏兵が潜んでいるところである」(孫子・行軍)

第十四計【借屍還魂】(しゃくしかんこん)

他人の死体を借りて霊魂を復活させる。文革中は「死んだはずの封建主義を甦らせる」という意味で否定的に使われた。

有用者、不可借。不能用者、求借。借不能用者而用之、匪我求童蒙、童蒙求我。
活気のある者は利用できない。活気のない者は援助を求めてくる。活気のない者に援助して利用するならば、自分は青二才に利用されず、青二才に自分を求めさせることになる(『易経』蒙卦)。

王朝交代のときに亡国の後裔である者を擁立したり、他人の攻撃・防衛を肩代わりしてやったりするのは、みなこの計を用いているのである。

第十五計【調虎離山】(ちょうこりざん)

トラをだまして山からおびき出す。敵を要害からおびき出して攻撃。『西遊記』『封神演義』などの小説類より。

待天以困之、用人以誘之。往蹙来返。
天が敵を苦しめるときを待ち、人の力を使って敵を誘い出す。こちらから攻撃してもうまくいきそうになければ、おびき出して反撃する(『易経』蹇卦)。

孫子の兵法にはこうある。「城攻めは下策である」。もし堅固なところを攻めれば、自ら敗北しにいくようなものである。敵がすでに地の利を得ていれば、その地を争ってはいけない。さらに敵に用意ができていて勢いが大きいのであれば、用意ができているのだから利益がなければ向こうから攻めてはこないし、勢力が大きいのだからこちらが天の時と人の徳を合わせて用いなければ勝てるはずがない。

漢末、羌族が数千の兵を率いてきて、虞詡を陳倉の崤谷でさえぎった。虞詡の軍は進まず、援兵を要請し、それが到着するのを待って出発する、と発表した。羌族はこれを聞いて、今のうちに近隣の県に分散して攻めた。虞詡は敵軍が分散したので、日夜道を進み、数百里も昼夜兼行した。兵士には毎日二つずつかまどを作らせ、しかもそれを日ごとに増やしていった。羌族はあえて攻撃してこなくなり、最後には大いに羌族を破ることができた。援兵が来たら出発すると言ったのは、利によって誘ったのである。日夜兼行したのは、天の時を使って敵を苦しめたのである。そのかまどの数を倍増させたのは、敵を人の力によって惑わせるためであった。

第十六計【欲擒姑縦】(よくきんこしょう)

鳥を捕まえるためには、わざと放して脱出させておいて、気がゆるんだところを一挙に捕らえる。諸葛亮が南蛮の王である孟獲を七度捕らえて七度釈放し、心服させたという話から。『漢晋春秋』

逼則反兵。走則減勢。緊随勿迫。累其気力、消其闘志、散而後擒、兵不血刃。需、有孚、光。
迫りすぎれば兵は反撃してくる。逃げさせれば勢いも減る。追い詰めるように迫ってはならない。気力をなくさせ、闘志を消し、散り散りばらばらになってから捕らえれば、刀に血塗らずに済む。局面を緩和して敵を争いとり、敵を信服させ、投降させることは、有利である(『易経』需卦)。

この「逃げさせる」というのは、放ってしまうのではなく、追いかけつつもそれをやや緩めることである。「窮寇は追うなかれ」と孫子が言っているのもこの意味である。つまり、追わないというのは、まったく後を追わないのではなく、迫りすぎないということだ。

三国時代、武侯(諸葛亮)が南蛮王・孟獲を「七たび縦(はな)ち七たび擒(とら)え」たが、釈放しては追うことを繰り返し、次々と進軍していって、不毛の地まで至ったのである。武侯が七度放った意図は、領地の拡大と、孟獲をだしにして他の蛮族も服従させることにあったので、これは兵法のレベルではない。軍事的観点のみでいうならば、捕らえた者を釈放すべきではないのである。

第十七計【抛磚引玉】(ほうせんいんぎょく)

レンガを投げて、玉を引き寄せる。貴重なものを引き出す呼び物として、まず自分の粗末なものを出す。宋代の『景徳伝灯録』より。敵が食いついてきそうなエサをばらまいて誘い、敵の大切なものを出させる。

類以誘之、撃蒙也。
似たものを使って誘い出し、混乱したところを撃つ(『易経』蒙卦)。

敵を誘い出す方法はきわめて多い。最も巧妙な方法は、疑似(似ているようで似ていないもの)ではなく、類同(類似の方法)によってその惑いを強めることだ。旗・のぼりやドラ・太鼓で兵が多いように見せかけて敵を誘うのは「疑似」。老人・病人、兵糧・薪を使って敵を誘うのが「類同」である。

第十八計【擒賊擒王】(きんぞくきんおう)

賊を捕らえるには、まずその指導者を捕らえる。杜甫の詩「前出塞」(人を射んとせばまず馬を射よ、賊を擒えんとせばまず王を擒えよ)より。敵を壊滅させるには、敵の中枢部を叩きつぶす。

摧其堅、奪其魁、以解其体。龍戦于野、其道窮。
主力をくじき、首魁を奪えば、全体を瓦解させられる。龍が陸上で戦って身動きがとれないような状態になる(『易経』坤卦)。

攻めて勝ったからといって利益を勝ち取ったわけではない。小を取って大を残すのは、兵卒には利でも、将は疲れるだけであり、軍隊には害であり、功績としては欠けるものである。全勝していながら主力を叩けず、王を捕らえることができなければ、これは虎を放って山に帰すだけのこと。王を捕らえるには、旗やのぼりを見分けるだけではなく、その陣中の挙動を見分けるべきだ。

唐代の安史の乱のとき、将・張巡は尹子奇と戦い、すぐに反乱軍の軍営を突いて、子奇の旗のところまで迫った。軍営の中は大いに乱れ、反乱軍の将を五十人あまり斬り、兵卒を五千人あまり殺した。張巡は子奇を射ようとしたけれども、どれがそうかわからず、稲の茎を削ったもので矢を作った。それに当たった者は、張巡の矢が尽きたのだと思って喜び、子奇に駆け寄って報告した。そこで張巡は尹子奇を見分けることができ、ただちに部下の南霽雲に命じて射させた。その左目に当たり、もう少しで捕虜にできそうになった。尹子奇はすぐに軍を引いて退却した。

第四組 混戦の計

第十九計【釜底抽薪】(ふていちゅうしん)

釜の下にあるたきぎを取り除く。根本の問題を解決する。

不敵其力、而消其勢、兌下乾上之象。
敵の力にはかなわないときは、勢いを弱めるようにする。これは「柔よく剛を制す」という方法である(『易経』履卦)。

水が沸騰するのは、力による。それは火の力だ。燃えさかっているなら勢いは対抗できなくなる。薪は火の根源で、力の勢いであるが、燃える中にあっても薪自体は静かだから近づいても害がない。だから、相手の力が強くても、それを消すことはできるのだ。『尉繚子』には「気が満ちれば戦い、気が奪われれば逃げる」とある。気を奪う方法は、心を攻めることだ。

後漢のはじめ、呉漢が大司馬だったとき、賊が夜に漢の軍営を攻めた。軍中は驚き騒いだが、呉漢はじっと伏せたまま動かない。軍中は呉漢が動かないことを聞いて、しばらくして落ち着いた。そこで精兵を選んで夜襲をかけ、大いに敵を破ったのである。これは直接敵の勢力に当たることなく、敵勢力を消したのである。

宋の薛長儒が漢州の通判(州の監督官)であったときのこと。守衛の兵が反乱を起こして、衛門を開いて、火を放って乱入し、知州・兵馬監を殺そうと謀った。それを密告する者があり、知州・兵馬監はみなあえて逃げなかった。薛長儒は身を挺して軍営を出て、反乱兵に諭した。「汝らにもみな父母妻子があるだろう。何故にこういうことをするのか。首謀者でない者はみな離れよ」。ここで多数の兵は動かなくなった。首謀者八人(十三人ともいう)のみが門を出て逃げ、野外の村落に隠れたが、まもなく全員捕らえられた。「長儒がいなければ、城は陥落していただろう」と人々は言った。これこそ、心を攻めて気を奪う方法なのである。

また、こうも言う。敵と敵が対立しているときに乗じて、強敵の虚を突き、破ってしまえば、勝利の機会をつかめる。

第二十計【混水摸魚】(こんすいぼぎょ)

水を濁して魚を捕らえる。積極的に機会を作って、敵を混乱させ、それに乗じて攻撃する。出典不詳。

乗其陰乱、利其弱而無主。随、以向晦入宴息。
内部混乱に乗じて、その弱体化して主がないような状態を有効活用する。これは、夜は家に帰って休息する必要があるのと同じである(『易経』随卦)。

動乱の際には、いくつかの力が衝突する。弱者はどれが味方でどれが敵かわからなくなってしまい、敵は目を覆われてこのことに気づかないから、こちらはそこを奪い取る。『六韜』兵徴にはこうある。「全軍が何度も脅かされ、士卒は整わず、敵を過大評価して恐れ、不利なことばかりに目が向いている。互いに耳を寄せ合って、うわさが飛び交い、嘘を信じてしまう。軍令を尊重しなくなり、将軍を重んじなくなる。これが弱軍のしるしである」。

濁った水の中の魚(カモ)は、混戦のときに選び出して取るべきである。三国時代に劉備が荊州を得、西川を手に入れたのはこの方法による。

第二十一計【金蝉脱殻】(きんせんだっかく)

現在地にいるように見せかけつつ、もぬけのからにして脱出する。

存其形、完其勢、友不疑、敵不動。巽而止蠱。
陣形を保って、勢いも崩さないなら、友軍は疑わず、敵は動けない。そこでひそかに移動する(『易経』蠱卦)。

友軍とともに敵を撃つには、落ち着いて形勢を見よ。もしほかにも敵を見つけたら、退いて勢力を温存しなければならない。つまり、金蝉脱殻は、いたずらに逃げるものではなく、分身の法なのである。したがって、我が大軍を転進させたあとも、旗やドラはもとの陣に残しておく。そうすれば敵軍はあえて動かず、友軍も疑いをもたない。他の敵を粉砕してとって返して初めて、友軍も敵軍もこれを知る、あるいはそれでも知らないかもしれない。つまり、金蝉脱殻とは、敵に対面したとき、精鋭を抜き出して別の陣を襲うものである。

第二十二計【関門捉賊】(かんもんそくぞく)

門を閉ざして泥棒を捕らえる。

小敵困之。剥、不利有攸往。
弱小な敵は包囲殲滅する。追い詰められて必死で抵抗している者は、逃がしておいて深追いしたりすると不利である(『易経』剥卦)。

賊を捕らえるのに必ず門を閉じるのは、賊が逃げるのを恐れるからではなく、逃した敵が他人に利用されるのを恐れるからである。ましてや逃げた者を追ってはならない。敵の誘いがあるかもしれないからである。賊とは奇兵・遊兵であり、自軍を疲れさせようとたくらむものである。

『呉子』にいう。「死にものぐるいの賊が一人、広野に隠れたならば、千人でこれを追ったとしても、鵜の目鷹の目で調べなければならないのは追っ手側だ。なぜなら、急に出てきて自分を襲うかもしれないと恐れるからである。このため、一人が命をなげうてば、千人を恐れさせることもできるのである」(励子)

賊を追うと、もし賊に脱走の機会があれば、必ず死にものぐるいで戦うことになる。もしその退路を断つならば捕虜となるだろう。だから、小賊は必ず殲滅せよ。そうでなければ逃がしてしまうしかない。

第二十三計【遠交近攻】(えんこうきんこう)

遠い国とは友好的にして干渉されないようにし、近い国を攻める。戦国時代に魏の范雎の唱えた外交政策。秦はこれを採用して他の六国を滅ぼした。史記・范雎葵蔡沢列伝。

形禁勢格、利従近取、害以遠隔。上火下沢。
形勢が悪く勢いがよくないときは、近くを取るのがよく、遠隔地を攻めると害がある。考えは違っても共同することはできる(『易経』[目癸]卦)。

混戦の局面では、合従したり連衡したり、手段を選んで臨機応変に対処する中で、各々が利益を取ろうとする。遠くは攻めるべきでなく、利益によって共同すべきだ。近い国と交わると、かえって肘や脇のように近いところに異変が起こる可能性がある。

戦国時代、魏の出身で秦の相国となった范[目隹]は、遠交近攻の策略で他の六国を次々と滅ぼしたが、これは地理上の遠近を目安にしたのが明らかである。

第二十四計【仮道伐虢】(かどうばつかく)

他に行くように見せかけて、目的の国を撃つ。『春秋左伝』「晋、道を虞に仮りて虢を伐つ」虢は周時代の国名。通過するだけでも自国領内を敵に通過させてはならない/通過を口実にして他国を攻め滅ぼす。

両大之間、敵脅以従、我仮以勢。困、有言不信。
敵と自国に挟まれている小国に敵が攻撃を仕掛けてきたら、自国も救援名目で支配下に置く。行動に出なければ、いくら言葉を発しても信じてもらえない(『易経』因卦)。

道を借りて兵を用いるという行動は、巧みな言葉でたぶらかそうと思ってもできない。このような小国の形勢では、どちらか一方の国に脅かされないとすれば、両方の国から挟撃されるだけのこと。このような状況の場合、一方の大国は必ず武力で脅しにかかるから、こちらは小国を害さないといってだまし、小国が存続を願う心理を利用すれば、速やかに勢力を拡大できる。小国は自ら布陣することもできなくなるから、戦わなくても消滅させられる。

第五組 併戦の計

第二十五計【偸梁換柱】(とうりょうかんちゅう)

梁や柱を取り替えて、中身はすっかり変わってしまう。表面は何事もないようだが、抵抗力は失われてしまう。俗語(『紅楼夢』)

頻更其陣、抽其頸旅、待其自敗、而後乗之。曳其輪也。
しきりに相手の陣形を変えさせ、その主力を骨抜きにし、相手が自滅するのを待って、それに乗じる。車輪を曳けば車が引けるようなものだ(『易経』未済)。

陣には縦と横がある。前後に相対する「天衡」の部分は陣の梁、中央を左右に貫く「地軸」の部分は陣の支柱である。梁と柱は精兵で構成するものだ。だから、その陣を見れば、精兵の場所がわかる。

同盟軍と共同して共通の敵と戦うときには、しきりに同盟軍の陣を変えさせ、ひそかにその精兵を引き抜いたり、梁や柱の部分そのものに自軍の部隊を入れてしまえば、当然、陣が崩れていき、ついにその同盟軍の兵を併合することができる。同盟の中の敵を併呑して他の敵を撃つという主要な作戦である。

第二十六計【指桑罵槐】(しそうばかい)

桑を指してエンジュの木の悪口を言う。直接相手を批判するのではなく、別の者を批判することによって、間接的に相手を批判する。エンジュは良い木=地位の高い人。俗語(『紅楼夢』)

大凌小者、警以誘之。剛中而応、行険而順。
強い者が弱い者を従えるには、警告によって誘わなければならない。適度に強く迫れば相手は応じ、厳しくすれば相手は従う(『易経』師卦)。

それまで服従してこなかった者を率いて敵に対しなければならないことがある。もし策を立てても行なわないだろうし、かといって利益で誘ったとしても、かえって疑われる。このとき、わざと誤解して他人の失敗を責め、それとなく警告を発する。警告するとは、逆方向から相手を誘うことだ。これは強硬・果断な手段で相手を動かすものである。あるいは、将が部下を使う方法でもある。

第二十七計【仮痴不癲】(かちふてん)

ばかなふりをしているが、理性まで失っていない。バカなふりをして相手を油断させる。

寧偽作不知不為、不偽作仮知妄為。静不露機。雲雷屯也。
知らないふりをして何もしないほうが、知ったかぶりをして軽挙妄動するよりもいい。沈黙を保って計画を見せない。雷雲が群れて時期を待っているようなものである(『易経』屯卦)。

偽って知らないふりをしているが、実は知っている。偽ってなさないふりをしているが、実はなしてはならないのであったり、なすときではないことを知っているからだ。

三国時代、魏の司馬懿は病気で死にかけているように装って、曹爽の警戒心を失わせて暗殺した。また、蜀の諸葛亮が司馬懿を怒らせるために送ってきた女性の首飾りや衣装をわざと受け取り、本国に指示を仰いで、魏軍内部の動揺を鎮め、逆に蜀の兵を疲れさせた。だから成功したのだ。蜀の姜維が九度中原を攻撃したが、明らかにどうしようもないことを知っていながらみだりに動いた。これは愚かなことであり、破滅したのも当然である。

孫子の兵法にこうある。「だから、戦いに巧みな者が勝つときには、知謀で名声を得ることなく、勇敢さによる功労も誇らない」(軍形)。機が満ちていないときには、愚者のごとくしずかにとどまる。もし気違いのようなふりをしたら、単に戦機を明らかにしてしまうだけでなく、みだりに動いて疑惑を招くことにもなる。だから、愚者のふりをする者は勝ち、気違いのふりをする者は敗れる。また「愚者のふりをすれば敵に対抗でき、部隊を用いることもできるのだ」ともいう。

宋代、南方では鬼神を信じていた。狄武襄(狄青)が蛮族の儂智高を攻めたとき、大軍が初めて桂林より南に出たということで、偽って「勝敗がどうなるかわかりません」と祈ってみせた。そこで百銭を取り出して自分で持ち、鬼神と約束した。「もし大勝であれば、この銭を投げたとき、すべて表が出ますように」。左右はいさめ、とどめた。「もしそうならなければ、おそらく士気を下げてしまいます」

武襄は聞かなかった。だれもが注目する中、手を振って一投げすると、百銭すべてが表を向いていた。全軍手を挙げて大喜びし、その声は林野をふるわせた。武襄も大いに喜び、釘を百個持ってこさせて、散らばっているままに銭を地面に打ち付け、さらに青い布で覆い、自ら封印した。「凱旋してきてから、神に感謝して銭を取ろう」。

その後、ヨウ州を平定して兵を戻し、言ったとおりに銭を取った。側近たちが見たところ、すべて両面とも表の模様の入った銭であった。

第二十八計【上屋抽梯】(じょうおくちゅうてい)

自分だけ屋根にのぼって、梯子を取り去ってしまい、後の者をのぼらせない。後続部隊との連絡を絶ちきる。孫子・九地篇(軍隊を起こす時期は、高みに登らせて梯子をとれるときがいい)。

仮之以便、唆之使前、断其援応、陥之死地。遇毒、位不当也。
利益があると見せかけて前進するようそそのかし、援軍を断って、死地に追いやる。この計にひっかかるとしたら、引っかかった方が悪い(『易経』噬[口盍]卦)。

そそのかすというのは、利益で誘導することである。もし利益で誘って使っても、行動しやすくお膳立てを整えてやらなければ、敵は誘われてこないかもしれない。したがって、梯子を外す前には、まず梯子を置かなければならない。また、敵に見やすいように梯子を示さなければならない。

第二十九計【樹上開花】(じゅじょうかいか)

もともと花のない木が花を咲かせているように見せる。

借局布勢、力小勢大。鴻漸于逵、其羽可用為儀也。
手段を使って勢いあるよう見せかければ、力は小さくても勢いは大きい。雁が空を飛ぶとき、羽根を広げて威儀を示すようなものだ(『易経』漸卦)。

この木にはもともと花がなくても、木に花があっても不思議ではない。布を切って糊付けすれば、細かく観察しない者にはわからない。花と木がたがいに輝き、映えて、すばらしい全体像を作り出すのだ。これは、精兵を友軍の陣に配備して、勢いがあるように見せかけて敵を脅すのである。

第三十計【反客為主】(はんかくいしゅ)

主人が客のもてなしが下手で、かえって客のもてなしを受ける。主客転倒。軒を借りて母屋を取る。権力を奪い取る。

乗隙挿足、扼其主機。漸之進也。
隙に乗じて足を挟み、その中心を奪う。手順どおり順々に進めること。(『易経』漸卦)

人に使われる者は奴隷であり、尊敬される者は客となる。地歩を確保できない者は一時の客であり、地歩を確立したものは久しい客となる。客として久しくても大事なことを任されない者は賤しい客である。大事なことをあずかれば、ようやく中枢を握って主となることができる。

したがって、客から主となるためには、第一歩は客としての地位を得る。第二歩は主人の隙に乗ずる。第三歩は足を踏み入れる(地歩を拡大する)。第四歩は大権を掌握する。第五歩で主となる。主になったならば、他の軍を併合する。これが漸進の陰謀である。

第六組 敗戦の計

第三十一計【美人計】(びじんけい)

色仕掛けで相手を弱体化させる。敵国の王には美人を献上するのが最上の策で、志気を損ない、体力を消耗させ、部下のねたみを買わせることができる。

兵強者、攻其将。将智者、伐其情。将弱兵頽、其勢自萎。利用御寇、順相保也。
兵が強い相手ならその将を抱き込む。将が知者なら、その情を攻める。将が弱くなって兵が頽廃すれば、その勢いは自滅する。有利な点をとらえて敵を御すれば、順当に勢力を保てる。

兵力が強くて将が賢明であるような敵とは戦ってはならない。勢い上、相手に仕えることになってしまう。相手に服属するのに土地を与えて勢力をさらに拡大させてしまうのは、戦国時代の六国が秦に服属したときのようなもので、最も下等な策だ。相手に服属するのに金銭・織物を献納して富を増やすのは、宋が遼・金に服属したときのようなもので、これも下の策である。ただ、服属するのに美人を与え、体力を弱め、臣下の恨みをつのらせるしかない。越王勾踐が呉王夫差に美女を与えたようにすれば、敗北を勝利に変えることができる。

第三十二計【空城計】(くうじょうけい)

敵にわざと城門を開いてみせて、何か計略があると思わせ、判断を狂わせる。『三国演義』

虚者虚之、疑中生疑。剛柔之際、奇而復奇。
手薄なときはいっそう手薄に見せれば、相手は疑う中でさらに疑う。兵力弱小のとき、この奇策は功を上げる。

兵は虚々実々、常に同じ勢いということはない。虚の場合に虚を示すのは、諸葛亮の空城計以来、実行者が少なくない。唐の玄宗のとき、吐蕃人が瓜州を陥落させた。このとき守備の王君煥が死んで、河西の人民は恐れた。そこへ張守珪が瓜州刺史となった。人々を指揮して州城を修復しようとした。ところが杭や板を立てかけたかと思ったところへまた敵がやってきた。守備設備はほとんどなく、城中は顔を見合わせて顔色を失い、闘志もなかった。守珪が言うには「敵は多く、味方は少ない。また満身創痍なので矢や石で防ぐこともできない。謀略によって制するしかない」

そこで城の上に酒を置き、音楽を鳴らして、将たちと宴会した。敵は城中に備えがあるものと疑い、あえて攻めずに退いた。

また、北斉の祖珽が北徐州刺史であったときのこと。州に赴任したとき、たまたま南陳が侵攻してきて、住民たちも反乱を起こすようになった。祖珽は城門を閉ざさず、守備兵をみな城から下ろして町中に待機させ、通行を禁止させた。鶏や犬も鳴かないほど。賊は何も見えず、何も聞こえないので状況がわからない。人が逃げて城が空っぽなのかと疑い、警戒しなかった。そのとき、祖珽が大きく叫ばせ、太鼓と兵の声が天までとどろいた。賊は驚いてたちまち逃げていった。

第三十三計【反間計】(はんかんけい)

偽情報・逆スパイで敵を混乱させる。敵スパイを二重スパイに仕立て上げる。

疑中之疑。比之自内、不自失也。
疑心暗鬼にさせる。敵諜報員を逆用するのがいいのは、自ら失うことがないからだ。

間とは、敵方が互いに疑いあうようにし向けることである。反間とは、自分に仕掛けられた離間策を逆に利用して、敵を離間させることである。

戦国時代の燕で、昭王が没した後をついだ恵王は、太子だったころから将軍の樂毅とそりがあわなかった。斉の将軍の田単は反間を放ってこう言わせた。「樂毅は燕王といさかいがあって、殺されることを恐れ、兵を集めて斉で独立して王となろうとしている。だが、斉はまだ服属していないので、しばらく即墨を攻略する手を緩め、時機を待っているのである。斉が恐れているのは、他の将が来て、即墨が陥落することだ」。恵王はこれを聞いて、すぐに騎劫を後継の将とした。このため、樂毅は趙に亡命するしかなかった。

三国時代、呉の周瑜が曹操の間諜を使って、曹操側の将軍を離間させたのも、疑中の疑を使ったものである。

第三十四計【苦肉計】(くにくけい)

わざと自分を傷つけて相手を信用させる。苦肉の策。

人不自害、受害必真。仮真真仮、間以得行。童蒙之吉、順以巽也。
人は自らの身を害するようなことはしない。害を受けるのは必ず他人からである。これを逆用して、真を偽りとし、偽りを真とみせかければ、離間の計を成功させられる。信じ込ませるには、自然にやる必要がある(『易経』蒙卦)。

間とは、敵方が互いに疑いあうようにし向けることである。反間とは、敵の陰謀を利用して、本当に見せかけることである。苦肉の計とは、自ら離間してみせて、相手を離間させることである。自分といさかいのある者を遣わして敵を誘い、内応させたり、あるいは協力する約束をさせたりするのは、みな苦肉計である。

第三十五計【連環計】(れんかんけい)

関連する計略を連続させて敵を翻弄する/敵が足をひっぱりあうようにさせる。

将多兵衆、不可以敵。使其自累、以殺其勢。在師中吉、承天寵也。
敵の将軍も兵も多いときにはまともに相手にできない。敵を自ら疲れさせ、その勢いを削ぐ。敵軍に謀略を用いれば、天の恩寵を受けてうまくいく。

三国時代の龐統は、赤壁の戦いで、曹操の戦艦をつなぎとめてから、火を放って焼き、脱出できなくした。つまり連環の計は、敵が互いに足の引っ張り合いをさせて、その後攻めるものである。最初の計で敵を疲れさせ、後の計で敵を攻める。両方の計をつないで用いて、強い勢いをくじくのである。

宋の名将・畢再遇の場合、つねに敵を誘い出して戦った。進むかと思えば退くことが四回にも及んだ。火が暮れようとしたとき、香料で黒豆を煮たものを地上に撒いておいた。そこでまた戦いを挑んでおき、偽って敗走した。敵は勝ちに乗じて追ってきたが、その馬はすでに飢えていた。豆の香りを嗅いで食べ始め、むち打っても進まない。遇は兵を率いて反攻し、ついに大勝した。これが連環の計である。

第三十六計【走為上】(そういじょう)

以上の計略で勝てないときは、逃げるが勝ち。

全師避敵。左次無咎、未失常也。
全軍退却して敵を避ける。撤退してもかまわないというのは、やはり兵の常道なのだ。

敵の勢力が圧倒的で自軍がとても戦えないなら、投降、講和、退却しかない。投降は全敗、講和は半分敗北、退却はまだ負けてはいない。まだ負けていないなら勝ちに転ずる機会がある。

宋の畢再遇が金と対陣したとき、ある夕、陣営を放棄して去ることになった。このとき、旗やのぼりを陣営にとどめ、生きている羊を縛って逆吊りにし、前足を太鼓の上に置いた。羊は逆さまに吊られたのに耐えられず、足で太鼓を打ち、声を出す。金人は撤退したことをわからず、そのまま数日とどまった。その後ようやく気づいたが、そのときにはすでに遠くまで逃げ去っていた。これが上手な逃げ方といえるだろう。

参考

このデータは、もともとこのサイトの編集者がまとめたものであるが、一時、三十六計サイトにて同意のもと掲載されていた。このたび、再度自らの手で一部修正して掲載するものである。


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