起承転結

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起承転結(きしょうてんけつ)は、詩や物語の構成・展開を表わす言葉。もともとは漢詩(絶句)での構成を示す「起承転合」に由来する。起承転結は日本独特の表現であり、中国で起承転結と言っても通じない(百度検索等で「起承転結」を含む中国語サイトを検索すると、松山千春のアルバム名がほとんどである)。

起承転合

起承转合 (qǐ chéng zhuǎn hé)は、詩や文章を作る際の文章構成法に関する用語。

「起」は原因であり、文章の始めである。「承」は事件の過程である。「転」は転換である。「合」は事件についての見解で終わりとなる。

出典・範徳璣《詩格》「作詩法は四つの方法がある。起は平らでまっすぐでなければならない。承は春の景色でなければならない。転は変化しなければならない。合は淵水でなければならない」

この言葉は、文章作法一般を指す場合もある。例:老舎『駱駝祥子』:みんな言ってることは、起承転合の痕跡もない。

「起承転合」は音楽において、民族曲の構成原則の1つとしても用いられることがある。起部=呈示。主題を最初に述べる。承部=強固。重複と変化をとおして主題を強固にする。転部=発展。主題を発展させる。比較的不安定となる。合部=結末。音楽全体を締めくくる。

劉煕載『芸概』

中国・清代の学者・劉煕載(1813-1881)『芸概』「文概」でこのように述べている。

「起・承・転・合の四字。起は起こることであり、合と連なって内に起こる。合は合わさることであり、起と連なって内にある。中間では承と転を用いるが、顧みること、趣を合わせることである」

起承転合の関係は、起の中に合があり、合の中に起がある。これは首尾呼応(最初と最後が呼応すること)である。また、承と転はすべて起と合を兼ねて繰り返す。これは上下をつなぎ合わせるものであり、一脈を伝えるものである。したがって、四者は相互に依存しており、相互作用している。厳密な論理性があり、非常に強い弁証法的な関係を示しているのである。

起筆をよく始めるには、単刀直入にしたり、人の思考を啓いたり、人の注目を引いたりし、変化が多く、自然であることをよしとする。承は、普通の起に反対に接したり、反対の起に普通に接したりして、流れをよくするのがよい。承の後の転換は、迂回曲折、二転三転、回転すればするほどよい。合は結末であり、テーマを明示したり、ほのめかしたり、人の思いを啓いたりすれば強力になる。

律詩の起承転合と楊戩『詩法家数』

中国の古い律詩は常に起承転合を運用している。

首聯

律詩の「首聯」は「起聯」ともいう。

頷聯

「頷聯」ともいう承筆がこれに続く。承筆は冒頭に続き、風景を描いたり、抒情であったりする。語気は穏やかで、上聯と自然につながらねばならず、だらけてはいけない。起筆の一聯は概要でしかない。承筆はテーマを明確にし、その後、転筆へと続ける。元代の楊戩は『詩法家数』でこのように述べている。

「頷聯は、意を写したり、風景を写したり、事を書き事を用い例を引く。この聯は解題につながる。驪龍の珠のように、決して外してはならない」

頸聯

「頸聯」は起筆と呼応し、「頷聯」を受ける。転換が突然起こり、波瀾を呼び、起伏があり、簡明直裁に述べることとなる。楊戩『詩法家数』にはこのように書かれている。

「頸聯は、意を写したり、風景を写したり、事を書き事を用い例を引く。前の聯の意味と相応じたり避け合ったりして、変化する必要がある。雷のようにすばやく山を破り、観る者を驚かす」

転筆には三つある。進んで一層転ずる、押し開いて一層転ずる、反転。

全般的に転筆に求められるのは、前後の呼応であり、活発で単調でないのがよい。 たとえば、杜甫『春望』:

国破れて山河在り、城春にして草木深し。
時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす。
烽火 三月に連なり、家書 万金に抵る。
白頭 掻けば更に短く、渾て簪に勝えざらんと欲す。

首聯・頷聯は、安史の乱の後の春の城の敗北の風景である。頸聯は進めて一層転ずる運用をしており、依然として安史の乱について書いて、尾聯での衰老という結果に繋いでいる。全体が呼応し、調和している。

転筆で一歩推し開くのは、王勃『杜少府之任蜀州』の「海内に知己存すれば、天涯も比鄰の若し」という句で、胸襟を開き、千古の名句となっている。尾聯は杜少府をなだめて結ぶ。上品で伸びやか、活発で自然、転筆は呼応し、変化に富んだ独特のおもしろみがあり、最高の組み合わせである。

反転は反面から書き出すもので、前後対比し、コントラストを生みだし奇妙な趣を作り出す。王安石『示長字君』が例となる。

尾聯

尾聯は合である。方法は様々で、列挙しつくせない。

文章法における起承転合

古論文も律詩と同様に書かれた。蘇洵『六国論』は、全文が五段落となっている。第一段で立論を起こし、第二段で正面からこれを承け、第三段では六転する(これは第二段の転であり、第一段の遠い承ともなっている)、第四段では軽く転じ、最後に総合的な推理に入って結論を出している。文章の結末では、感嘆で締めくくっている。全編を見れば起承転合であることが明らかで、自然かつなめらかである。

古詩・古文の法は、今の人も受け継いでいる。