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1847年、ドイツの挿絵画家モーリッツ・フォン・シュヴィントが、クリスマスイブに赤いマントを羽織ってプレゼントを配る「冬男(ヘル・ヴィンター)」を描いている。 | 1847年、ドイツの挿絵画家モーリッツ・フォン・シュヴィントが、クリスマスイブに赤いマントを羽織ってプレゼントを配る「冬男(ヘル・ヴィンター)」を描いている。 | ||
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1939年、コピーライターのR・L・メイが、モンゴメリー・ウォード店の配布用パンフレットとして、9頭目のトナカイを詩に読む。これが「[[赤鼻のトナカイ・ルドルフ]]」の起源である。これが本となり、歌となって有名になった。 | 1939年、コピーライターのR・L・メイが、モンゴメリー・ウォード店の配布用パンフレットとして、9頭目のトナカイを詩に読む。これが「[[赤鼻のトナカイ・ルドルフ]]」の起源である。これが本となり、歌となって有名になった。 | ||
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+ | インターネット時代になり、赤鼻のトナカイ・ルドルフの鼻の光を頼りに、レーダー、人工衛星、サンタ カメラ、ジェット戦闘機の4つの最新鋭システムでサンタを追跡することが可能になった。このライブ追跡状況は、下記のサイトからたどることができる。 | ||
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2009年8月20日 (木) 12:54時点における最新版
サンタクロース(Santa Claus)は、現代のクリスマスの主役とも言える人物。一般には白ひげで紅白の服を着た小太りのおじいさんの造形で表現され、トナカイの引くそりに乗って、白い袋の中によい子たちへのプレゼントを詰め込んでいる。よい子たちは、クリスマスイブに寝るとき靴下をつるしておくと、煙突から降りてきたサンタクロースがその中にプレゼントを入れてくれるといわれている。
サンタクロースの名前は、3世紀~4世紀の聖ニコラウスから取られている。この聖ニコラウスの伝説に、様々な土着信仰の要素が加わり、さらに近代の商業主義を含む新たな表現が加わって、現在見るサンタクロースが完成した。
本項では、聖ニコラウスの説話ならびにサンタクロースの形成について述べる。
目次
聖ニコラウス
聖ニコラウス(聖ニコラオス、Άγιος Νικόλαος、ミラのニコラオス)は、西暦271年(または280年)生まれ。出生地はギリシア南部の港湾都市パトラス。342年12月6日没。そのため、12月6日が聖ニコラウスの祭日とされた。
Nicolaus=nicos(勝利)+laos(民衆)「民衆を勝利へと教え導く者」という意味であるなどと解説されている。
http://www.kotono8.com/2006/image/stnicholaus.gif
聖ニコラウスの伝説については、『黄金伝説』に記された内容が詳しい。
- 『黄金伝説』「聖ニコラウス」の全文訳については聖ニコラウス (黄金伝説)参照のこと。
プレゼント伝説のもとになった説話
ニコラウスは裕福な家庭に生まれ、両親からの莫大な財産を受け継いだ。そのころ、破産した没落貴族が隣家にいた。その長女に縁談が持ち上がったが、父親は家計のために身売りさせようとしていた。それを知ったニコラウスは夜中にこっそり、金の詰まった財布を投げ込んだ。それで長女は身売りを逃れた。次に次女に縁談が持ち上がり、ニコラウスは同様に財布を投げ込んだ。三女のときには父親も起きていて見張っており、恩人の正体を知ることができた。だが、ニコラウスはこのことを口外しないように頼んだという。後にこの説話は「娘の部屋の窓辺に干してあった靴下の中に財布を入れておいた」ということになった。
- キーワード:夜中にこっそり、靴下の中に、プレゼント。
その後、ニコラウスはトルコ南部のリュキア地方のミュラという町の司教となった。非常に人気があり、人々は困るとニコラウスに頼った。
その他、ニコラウスが困っている人たちを助ける説話がいくつも残されている。
飢饉から救う説話――リュキアで深刻な飢饉に襲われたときの話。アレクサンドリアからコンスタンティノープルに穀物を運ぶ船が寄港した。その穀物を分けてもらおうと思ったが、船長は「目方が厳密に量られているので、分けることはできない」と断った。しかし、ニコラウスは船長を説得し、少し譲り受けることになった。少量の小麦だったが、二年にわたって町の人たちを養い、さらに余った分を畑にまいて豊かな収穫を得た。なお、皇帝のもとに届いた小麦は、まったく減っていなかったという。
船や旅人を守護する伝説――嵐の中で遭難しそうになった水夫がニコラウスの名前を叫ぶと、老人が出現し、作業を手伝った。そして嵐はおさまった。ミュラに上陸した水夫たちが教会に行くと、ニコラウスはいつものように祈りを捧げていた。
聖ニコラウスの伝説化と祭
1087年に遺骨がミュラからイタリアのバーリに移され、聖ニコラウスのブームが起こった。毎年12月6日には、修道院の僧たちが聖ニコラウスの業績を称える劇を上演した。
そこで上演されたのが「三人の子供」のエピソード。落ち穂拾いに出かけた3人の子供が肉屋に宿を求めた。肉屋は子供たちを殺して樽漬けにしてしまう。それから7年後、聖ニコラウスが通りがかり、肉屋に入る。しかし、ハムも子牛の肉料理も断り、「7年前から漬け込んだ樽詰めの肉」を注文し、肉屋は怖くなって逃げてしまう。聖ニコラウスが樽に3本の指を乗せると、3人の子供はあくびをしながら出てきた。
3人の子供のエピソードとの関連で、12月28日の「聖なる幼子殉教者」記念日に上演されることもあった。
その後、13世紀ごろから劇の内容がさらに大衆化され、3人の娘に金塊をプレゼントしたエピソードが上演されるようになる。
- なまはげニコラウス――オーストリア中部ミッテンドルフのニコロ・シュピーレン(聖ニコラウス祭=12月6日)の様子。
(福嶋正純『魔物たちの夜――聖ニコラウス祭の習俗』)
聖ニコラウスの祭日は冬の始まり、ブタ(北欧神話の聖獣)を塩漬けにする季節の最初にあたり、冬至祭の時期とも合っていたので、次第に異教の要素を多く含むようになっていく。民間習俗と化し、教会からは禁止令が出ることもあった。
宗教改革によるニコラウスの消滅
ルターによる宗教改革が16世紀に始まると、聖人たちも否定されるようになる。そのため、ドイツを中心に、聖ニコラウス祭も今までの姿から変わっていく。プレゼントは、聖人からではなく、主イエス・キリストからもたらされるものでなければならない、という発想により、12月25日にプレゼントを交わすようになっていった。
ルター家でも1536年までは12月6日に家族や使用人にプレゼントを渡していた。しかし、1546年以降は12月25日にプレゼントを渡すようになっている。
プレゼントを渡す人も、聖ニコラウスではなくなっていく。
- クリスト・キント……「幼児キリスト」の意味だが、白いローブに金の翼の乙女である。
- クリス・クリングル……クリスト・キントの訛り。映画『34丁目の奇跡』ではサンタクロースが履歴書に「クリス・クリングル」と署名する。
- ファーザー・クリスマス……イギリス。サトゥルヌス神が起源で、冬の間国中を巡るゲルマン神話のオーディンの伝説と結びついた。清教徒革命のときにはクリスマスが弾圧されたので一時消えたが、ヴィクトリア朝時代に復活。
- ユール・ニッセ……デンマークとノルウェーの農家の守り神。
- ユール・トムテ……スウェーデンとフィンランドでは、ユール・ニッセをこう呼ぶ。トムテは、山羊の精が牽くそり(ユール・ボーク)に乗って贈り物を配る。これがサンタクロースのそりになる。その起源は、北欧神話の雷神トールが、2頭の雄山羊タングニョーストとタングリスニルの牽く車に乗っていることにある。
- ヨール・スヴェン……アイスランド。巨大な悪鬼で、悪い子供を脅す。20世紀にはサンタクロース化した。
- ベファーナとバーブシュカ……ロシア。東方の三博士の道案内を断った二人の老婆だが、後悔して贈り物をたずさえて博士のあとを追う。結局、イエスにも博士たちにも会えないが、その途中、よい子供たちに贈り物をばらまいた。
近代サンタクロースの登場
- シンタ・クラース……オランダ語読みの「聖ニコラウス」。1620年代、ニュー・アムステルダム(ニューヨーク)に移住したオランダ人は12月6日にシンタ・クロース祭を祝っていた。
ニューヨークがイギリス領になってから、英国系移民は12月6日の前夜にプレゼントを贈る風習を受け継いだ。当時、清教徒革命で、クリスマスを祝うことが禁止されていたためである。シンタ・クラースはアメリカで訛ってサンタ・クロースと呼ばれるようになった。
1809年、ワシントン・アーヴィングはデートリッヒ・ニッカボッカ名義で『ニューヨークの歴史』という本を書く。その中に聖ニコラスとサンタクロースが登場する。オランダ人の一団がアムステルダムからアメリカに入植する際、船の船首には、航海の安全を祈願して聖ニコラス像が飾り付けられていた。そのリーダーである賢人オロフは、夢に聖ニコラスを見る。ここで示された土地がニュー・アムステルダムであった。聖ニコラスは、子どもたちに毎年贈り物をし、馬車で空を駆け巡る人物とされている。
19世紀初めの『5歳から12歳の子供への新年の贈り物』という本では、聖ニコラスは1頭のトナカイが牽くそりに乗っている。
1821年、『子供たちのお友だち』という絵本で、サンタクロースはクリスマス・イブに訪れる。
「クリスマスの前の夜(聖ニコラスの訪問記)」
1823年12月23日、『聖ニコラスの訪問記(Account of a visit from St.Nicholas)』という短い詩が、ニューヨーク州「トロイ・センティネル」紙上にて発表された。これが現代のサンタクロースの設定の原型といえる。これは長らく神学者クレメント・クラーク・ムーアが書いたとされてきたが、NY Times 2000年10月26日の記事では、ヘンリー・リヴィングストン・ジュニアという人物が本当の作者だという説が紹介され、その後、それが定説となりつつある。リヴィングストン・ジュニアは英語とオランダ語を話せたが、ムーアは英語とドイツ語だった、等々、説得力ある説である。
- 『聖ニコラスの訪問記』全文訳とその作者についての詳細な検討については、聖ニコラスの訪問記 (クリスマスの前の夜)を参照のこと。
『聖ニコラスの訪問記』では、聖ニコラスはクリスマスの前夜、人々が寝静まってから登場し、8頭のトナカイが牽くそりに乗って空を飛ぶ。灰とすすまみれの毛皮を着ており、愛嬌のある顔、白いあごひげ、太った小人でパイプをくわえている。そして、煙突から入ってくる。
8頭のトナカイの名前は、左列前から後ろに
- Dasher(ダッシャー、突進者)
- Dancer(ダンサー、踊り手)
- Prancer(プランサー、踊り跳ねる者)
- Vixen(ヴィクセン、雌狐/口やかましい女)
右列前から後ろに
- Comet(コメット、彗星)
- Cupid(キューピッド、恋愛の神)
- Dunder(ドゥンダー、雷=オランダ語源)
- Blixem(ブリクセン、稲光=オランダ語源)
8頭なのは、北欧神話のオーディン神の乗る8脚の神馬スレイプニールに由来するという説もある。なお、最後の2頭については、オランダ語を知らなかったムーアが「ドンダー(Donder)」と「ブリッツェン(Blitzen)」というドイツ語形に変えた。
20世紀のサンタクロース
1847年、ドイツの挿絵画家モーリッツ・フォン・シュヴィントが、クリスマスイブに赤いマントを羽織ってプレゼントを配る「冬男(ヘル・ヴィンター)」を描いている。
現代のサンタクロースの画像の原型となったのは、トマス・ナストの描いたイラストである。1863年、「聖ニコラスの訪問」の詩に合わせてイラストを描いたのをきっかけに、数多くのサンタクロースを描いた。彼の挿絵以降、聖ニコラスという呼称は消えてもっぱらサンタクロースとなっていく。1886年『サンタクロースとその仕事』、1890年『トマス・ナストによる人類のためのクリスマス画集』を出版した。
冬男も、ナストのサンタクロースも、北欧神話のオーディン神(赤いマント)の影響を受けている。また、司教服も赤である。
1920~30年代、大衆雑誌『サタデー・イヴニング・ポスト』誌の表紙にサンタクロースが各種現われる。ジョセフ・C・ライエンデッカーが32回、ノーマン・ロックウェルが26回描いている。これらがアメリカン・サンタクロースのイメージを固定化していった。
1931年12月、『ナショナル・ジオグラフィック』誌の裏表紙に、スウェーデン人ハドン・サンドブロムの描くサンタクロースが掲載された。これはコカコーラの広告である。それまで色とりどりの服を着ていたサンタクロースに、「コカコーラ・カラー」である赤と白のイメージを定着させたのは、サンドブロムとコカコーラであった。このモデルは、コカコーラ社の定年を迎えた営業マン、ルー・プレンティスという男で、これ以来、サンタクロースは小人ではなく太ったおじさんになった。
サンドブロムの描く広告は1946年まで毎年掲載され、イメージを固定化していった。その後もコカコーラ社のイメージ・キャラクターとして1965年まで登場する。
1939年、コピーライターのR・L・メイが、モンゴメリー・ウォード店の配布用パンフレットとして、9頭目のトナカイを詩に読む。これが「赤鼻のトナカイ・ルドルフ」の起源である。これが本となり、歌となって有名になった。
21世紀のサンタクロース
インターネット時代になり、赤鼻のトナカイ・ルドルフの鼻の光を頼りに、レーダー、人工衛星、サンタ カメラ、ジェット戦闘機の4つの最新鋭システムでサンタを追跡することが可能になった。このライブ追跡状況は、下記のサイトからたどることができる。