「ハンガリアン・ウォーター」の版間の差分
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2007年7月18日 (水) 22:14時点における最新版
ハンガリアン・ウォーター(ハンガリー王妃の水、The Queen of Hungary's Water)は、14世紀のハンガリーの王妃エルジュビェタ(エリザベート1世、1305-1381、ポーランド出身)と深い関係のある史上初のアルコール香水である。
ハンガリー王妃の水
エルジュビェタはポーランド王国ピャスト朝の君主ヴワディスワフ1世の娘で、15歳のときにハンガリー国王カーロイ1世(アンジュー家のカーロイ・ローベルト)と結婚したが、国王は1342年に没した。当時16歳の息子ラヨシュはハンガリーの王位につき、のちにポーランドの王位も兼ねることになる。息子との関係は堅固で、エルジュビェタは外務大臣の役割を果たし、征服地(ならびに1370年からはポーランド)の摂政もつとめた。人生において衣服、香水、化粧品、男性を楽しみ続けたことでヨーロッパではよく知られている。
「ハンガリー王妃の水」のレシピが作られた正確な日付を示す歴史的資料はない。伝説によれば、謎の修道士がエルジュビェタに与えたとされているが、実際には宮廷錬金術師によって作られたようである。
アロマテラピー検定2級テキストによれば、これは「中世のヨーロッパの僧院医学」と関連づけられている。エリザベート1世は「晩年近くなったときに手足がやむ病気にかか」ったため、「修道院の僧が彼女のためにローズマリーなどを主体として作った痛み止め薬を献上したところ、彼女の状態はみるみるよくなり、70歳を超えた彼女に隣国ポーランドの王子が求婚したという」。
最初のバージョンでは、これは蒸留されたローズマリーとタイムにアルコールを注いだものであった。後のレシピでは、ラベンダー、ミント、セージ、マージョラム、オレンジの花、レモンを含んでいる。
商品としての「ハンガリー王妃の水」が初めて市場に出回ったのは1370年、香水を好んだフランスの賢明王シャルル5世(1338-1380)のときであった。
中世の流行
「ハンガリー王妃の水」の成分詳細は、歴史的な記録、伝説その他の文書にも残されていない。この製品は何世紀にも渡ってヨーロッパ中で知られ、オーデコロンが18世紀に登場するまで、当時使われた香水療法のナンバーワンであった。他のハーブや花から作られた製品と同様、「ハンガリー王妃の水」は単なる香水ではなく、中世に使われた貴重な治療薬でもあった。その特徴の最も貴重な解説は、1683年のF・カルペッパー著『Pharmacopeia Londoniensis』にこのように書かれている。
- 「この水(アルコール成分を含む)は、あらゆる種類の風邪、ならびに湿気が引き起こす頭の疾患、卒中、てんかん、めまい、無気力、無能力、神経病、リウマチ、ひび、けいれん、記憶喪失、昏睡、眠気、聴覚障害、耳鳴り、視野錯乱、血液凝固、不機嫌によって引き起こされた頭痛における素晴らしい万能治療薬である。歯痛を和らげ、胃けいれん、胸膜炎、食欲不振、消化不良、肝臓障害、脾臓障害、腸の障害、子宮収縮に有効である。これは自然の熱を受けて維持し、老年に至った者にさえも身体機能と能力をよみがえらせる。これほど多くのよい効果を生み出す治療薬はない。ワインやウオッカの中に入れて使い、こめかみをゆすぎ、鼻で嗅ぐとよい」
現代のアロマテラピーにおいてローズマリー、タイム、ラベンダーの精油の性質として知られているものと上記の記述を比べるならば、表現は違えど、確かに「ハンガリー王妃の水」は単に魅力的な香水というだけではなく、万能薬であったということができよう。
参考文献
- 古代エジプト
- 古代ギリシア
- 古代ローマ
- 古代インド・中国
- 中世
- イブン・シーナ - 僧院医学 - サレルノ医科大学 - 十字軍 - ハンガリアン・ウォーター
- 16世紀~17世紀
- 18世紀
- 20世紀-
- ルネ・モーリス・ガットフォセ - ガッティー - カヨラ - ジャン・バルネ
- マルグリット・モーリー - シャーリー・プライス - ロバート・ティスランド
- パオロ・ロベスティ - 鳥居鎮夫
- 日本アロマテラピー協会 - 日本アロマ環境協会